2012年5月18日金曜日

研究公演「忘れない絆、絶やさない伝統―震災復興と文化継承を願って」

東日本大地震は、人々の日常生活はもちろんのこと、文化遺産の存続をも危うくしました。この度、国立民族学博物館が支援を行った大船渡市の伝統芸能・鹿踊りをお招きし、活動再開後初の関西公演を行います。「災いを払い、幸せを招く」といわれ、阪神・淡路大震災後地域の人々を元気づけた中国獅子舞や龍舞、そして新長田の地元の方々との共演も必見です。実演とワークショップを通じて「1.17と3.11」の絆を深めるとともに、震災復興と伝統文化の継承についてともに考え、実践し、復興の力につなげていきたいと思います。
2012年6月9日(土) 
  • 会場:国立民族学博物館 玄関前広場(屋外)、エントランスホール(本館1F)
  • ※雨天・強風時:講堂(定員450名)、エントランスホール(本館1F)
  • 時間:14:00~16:30

2012年6月10日(日)
  • 会場:若松公園鉄人28号広場(屋外)
  • 神戸市長田区若松町6-3(JR・市営地下鉄海岸線 新長田駅から西へ徒歩約5分)
  • 時間:13:00~15:00(予定)

受付:申込不要
参加:無料
主催:国立民族学博物館
     詳細はみんぱくHPをご覧ください。
     http://www.minpaku.ac.jp/museum/event/slp/performance120609_10 

    2011年7月5日火曜日

    愛deerプロジェクト

     東日本大震災被災地では、鹿の角を探しています。
    岩手県と宮城県には鹿踊り(ししおどり)という民俗芸能が伝わっています。
    団体によっては、この踊りに使用する被りものに本物の鹿の角を付けるのですが、津波で失ってしまったものがかなりあります。
    ただ、規格は結構きびしく、条件を満たすものは少ないようです。

    鹿は本州鹿で、エゾ鹿は使えません。
    1頭の1対となっている破損のないもので、1本の全体の長さが55~60センチメートル、喧嘩角の長さが15~16センチメートル、喧嘩角の広がりの角度が60度というものです。

    2011年4月19日火曜日

    災害と向き合う


    2011311日に発生した東日本大震災は、死者・行方不明者数や被害総額、浸水面積だけでなく、原発事故による電力不足や放射性物質の拡散、これらによる各種産業への影響、遠地避難など、まさに「スーパー広域複合大災害」となってしまった。

    地震発生の3日前に、私はアメリカ南部のニューオリンズから帰国した。ニューオリンズでは、5年半前のハリケーン・カトリーナ災害被災地の復興と記録化プロジェクトについて調査していた。後で防災学者から教えてもらったのだが、今回の津波で浸水した面積とハリケーン・カトリーナによるそれとはほぼ同じ広さだそうだ。ただ、津波は途轍もない力で自然や建造物を破壊していった。

    さらには、安心を与える、あるいは安心を得るために入手した情報が、必ずしも安全を保障してくれるものではないのではないか、との疑念を人々に抱かせたことも、今回の連鎖的な災害の大きな特徴の一つであろう。

    さて、「何をなすべきか」である。原発依存の見直し、電力消費量を抑えるライフスタイルや価値への転換、「エコタウン」としての地域再建などさまざまな提言がすでに出ている。それぞれが慎重に検討すべき課題である。しかし、私たち誰もができることは、被災地の復興あるいは再生の歩みと共にその時点時点で一人一人がやるべきことを考えていくことであり、それを実行に移していくことではないだろうか。

    ひと月が経過しても、被災地では未だ人道支援の段階から抜け出していない。ハリケーン・カトリーナの時に「これがアメリカか」とか「これがアメリカの現実だ」という声が上がったが、同じことが今、日本について言われている。本業を生かすことも重要だが、本業の傍らで、災害の現実と真摯に向き合いながら、役立つことを始めたい。「東日本大震災」という名前には、西日本への警鐘が重低音で響いていることも心に留めながら。

    2011年3月26日土曜日

    3/19 民博メール


    この1週間を振り返る意味で、いくつかのサイトを紹介します。

    東北地方太平洋沖地震(多くの余震も含め)の震源、大きさを地図上にアニメーションで示したものです。
    http://www.japanquakemap.com/week

    New York Timesの写真。日本のマスコミは掲載しないような写真もあります。
     http://t.co/MefEYQb


    ●私のこれまでの研究活動で接点があり、今回も特徴ある被災地支援を行っている団体をご紹介します。

    →被災地NGO協働センター http://www.pure.ne.jp/~ngo/
    国際的にはCODE(コード)の名で知られている団体で、九州の新燃岳噴火による降灰で商品化が難しくなった野菜を、東北の被災者の炊き出しに使う活動をコーディネートしています。また「アレルギー対応」粉ミルクを届ける活動もしています。
    →ダイバーシティ研究所 http://www.diversityjapan.jp/
    女性・障がい者・高齢者・外国人・乳幼児などにとって安心できる避難所の運営をサポートしています

    昨年(2010年)6月に地域安全学会の春季大会が岩手県大船渡市で開催されました。1960年のチリ沖地震津波災害50周年にあたる年でした。三陸海岸は過去に何度も大きな地震・津波災害に襲われており、昨年2月にも、やはりチリ沖で発生した地震による津波が到達しています。他の三陸海岸の地域同様に、津波防災意識が非常に高いところです。学会では津波災害に関する市民向けのシンポジウムを開催し、私は津波災害の記録・記憶の伝承というテーマで、海外の事例を含めて話をしてきました。その後、学会参加者で大船渡市の防災施設や過去の災害の痕跡を訪れてきました。
    さらには、2005年の春季大会は、岩手県田老町(現在は宮古市の一部)で開催され、10メートルの高さで町を守る津波堤防や警報システムの視察してきました。
    テレビ等の報道でご存知のように、今回の地震津波災害では、これら二つの地域を含めた多くの三陸海岸地域が壊滅状態です。お会いした多くの方々の亡くなったり、避難生活を強いられたりしています。
    日本の歴史の中で、1959年の伊勢湾台風、1995年の阪神・淡路大震災は日本の社会に大きな転換をもたらしました。今回の東北地方太平洋沖地震による大災害は、こうした過去の災害以上に、制度的な見直しや価値観の転換を私たちに求めるものになるかもしれません。
    一人一人がこのことを心に置きながら、今、何ができるか、何をすべきかを考えていただければと願っています。

    ●渡辺謙「雨ニモマケズ」朗読

    http://www.youtube.com/watch?v=hvFEffacY5g

    正常性バイアス

    英語ではNormalcy Bias。日本語では「正常化の偏見」とも訳されて、防災の分野ではよく知られた概念です。災害心理学者の広瀬弘忠氏の説明によると「ある範囲までの異常は、異常だと感じずに、正常の範囲内のものとして処理」しようとする「心のメカニズム」のこと(広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学』集英社新書0228E、p.12)。

    今回の災害は地震・津波・原発事故という複合的なものです。海の近くにいて地震を感じたならば、たとえ揺れがさほど大きくなくとも津波を警戒しなければなりません。そしてできる限り高いところに、あるいは海から遠くまで避難することが必要なことは、三陸地方のように、これまで数多くの津波被害を経験しているところでは、常識と言えるでしょう。しかし、「前回の時(2010年のチリ沖地震津波?1960年のチリ沖地震津波?)には、ここまでは津波が来なかった」と逃げなかった人や、まだ大丈夫だろうと持ち物を探していた人などがおり、波にさらわれてしまった、とも聞きました。これも「正常性バイアス」と解釈することができます。

    また、原発事故発生を受けて、安全な場所へといち早く行動を起こした人たちと、政府や東京電力さらには「専門家」という人たちの「ただちに健康に影響を与えるレベルではない」の言葉を信じて(あるいは信じようとして)、長年住み慣れた土地でできる限り生活を続けよとする人たちを観ながら、関東にいる年老いた両親を心配しながらも、心のどこかで「まあ大丈夫だろう」「まだ大丈夫だろう」と自分自身を納得させようとしていることにも、この「正常性バイアス」が働いているのだろうと思っています。でも、逃げるにしろ、留まるにしろ、情報の信頼性がどんどん薄れていってしまっていては、自分の行動を決定できません。

    同時に、ほとんどTVなどでは見かけませんが、この原発事故の重大さ・深刻さを警告する見解をインターネットなどで見つけると、「安全・安心」とこれまでセットで使われてきた言葉が、むなしく分離し始め、霧消していく感覚に襲われます。

    2011年3月25日金曜日

    報道写真

    行政や研究者、あるいは支援者による写真は、それぞれの目的のために撮影されたことは十分承知しています。しかし、プロの報道カメラマンたちによる写真は、地震や津波のもつ破壊力、それによって奪われる人間の命と生活、そうした中でも懸命に生き抜こうとする人びと、彼らを支えようとする人たちの姿をとらえ、その迫力には圧倒されます。破壊されたインフラや打ち上げられた船、瓦礫と化した住宅などは、確かに自然のものすごい力の痕跡です。でも、人間の生活に影響があって初めて災害になるのです。やもちろんカメラが向けられないところにも、さまざまな災害のありさまがあるはずです。
    The New York Times

    2011年3月22日火曜日

    ブログ作成しました

    これから情報をどんどんアップ致します。
    どうぞよろしくお願い致します。