2011年3月26日土曜日

正常性バイアス

英語ではNormalcy Bias。日本語では「正常化の偏見」とも訳されて、防災の分野ではよく知られた概念です。災害心理学者の広瀬弘忠氏の説明によると「ある範囲までの異常は、異常だと感じずに、正常の範囲内のものとして処理」しようとする「心のメカニズム」のこと(広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学』集英社新書0228E、p.12)。

今回の災害は地震・津波・原発事故という複合的なものです。海の近くにいて地震を感じたならば、たとえ揺れがさほど大きくなくとも津波を警戒しなければなりません。そしてできる限り高いところに、あるいは海から遠くまで避難することが必要なことは、三陸地方のように、これまで数多くの津波被害を経験しているところでは、常識と言えるでしょう。しかし、「前回の時(2010年のチリ沖地震津波?1960年のチリ沖地震津波?)には、ここまでは津波が来なかった」と逃げなかった人や、まだ大丈夫だろうと持ち物を探していた人などがおり、波にさらわれてしまった、とも聞きました。これも「正常性バイアス」と解釈することができます。

また、原発事故発生を受けて、安全な場所へといち早く行動を起こした人たちと、政府や東京電力さらには「専門家」という人たちの「ただちに健康に影響を与えるレベルではない」の言葉を信じて(あるいは信じようとして)、長年住み慣れた土地でできる限り生活を続けよとする人たちを観ながら、関東にいる年老いた両親を心配しながらも、心のどこかで「まあ大丈夫だろう」「まだ大丈夫だろう」と自分自身を納得させようとしていることにも、この「正常性バイアス」が働いているのだろうと思っています。でも、逃げるにしろ、留まるにしろ、情報の信頼性がどんどん薄れていってしまっていては、自分の行動を決定できません。

同時に、ほとんどTVなどでは見かけませんが、この原発事故の重大さ・深刻さを警告する見解をインターネットなどで見つけると、「安全・安心」とこれまでセットで使われてきた言葉が、むなしく分離し始め、霧消していく感覚に襲われます。