2011年3月26日土曜日

3/19 民博メール


この1週間を振り返る意味で、いくつかのサイトを紹介します。

東北地方太平洋沖地震(多くの余震も含め)の震源、大きさを地図上にアニメーションで示したものです。
http://www.japanquakemap.com/week

New York Timesの写真。日本のマスコミは掲載しないような写真もあります。
 http://t.co/MefEYQb


●私のこれまでの研究活動で接点があり、今回も特徴ある被災地支援を行っている団体をご紹介します。

→被災地NGO協働センター http://www.pure.ne.jp/~ngo/
国際的にはCODE(コード)の名で知られている団体で、九州の新燃岳噴火による降灰で商品化が難しくなった野菜を、東北の被災者の炊き出しに使う活動をコーディネートしています。また「アレルギー対応」粉ミルクを届ける活動もしています。
→ダイバーシティ研究所 http://www.diversityjapan.jp/
女性・障がい者・高齢者・外国人・乳幼児などにとって安心できる避難所の運営をサポートしています

昨年(2010年)6月に地域安全学会の春季大会が岩手県大船渡市で開催されました。1960年のチリ沖地震津波災害50周年にあたる年でした。三陸海岸は過去に何度も大きな地震・津波災害に襲われており、昨年2月にも、やはりチリ沖で発生した地震による津波が到達しています。他の三陸海岸の地域同様に、津波防災意識が非常に高いところです。学会では津波災害に関する市民向けのシンポジウムを開催し、私は津波災害の記録・記憶の伝承というテーマで、海外の事例を含めて話をしてきました。その後、学会参加者で大船渡市の防災施設や過去の災害の痕跡を訪れてきました。
さらには、2005年の春季大会は、岩手県田老町(現在は宮古市の一部)で開催され、10メートルの高さで町を守る津波堤防や警報システムの視察してきました。
テレビ等の報道でご存知のように、今回の地震津波災害では、これら二つの地域を含めた多くの三陸海岸地域が壊滅状態です。お会いした多くの方々の亡くなったり、避難生活を強いられたりしています。
日本の歴史の中で、1959年の伊勢湾台風、1995年の阪神・淡路大震災は日本の社会に大きな転換をもたらしました。今回の東北地方太平洋沖地震による大災害は、こうした過去の災害以上に、制度的な見直しや価値観の転換を私たちに求めるものになるかもしれません。
一人一人がこのことを心に置きながら、今、何ができるか、何をすべきかを考えていただければと願っています。

●渡辺謙「雨ニモマケズ」朗読

http://www.youtube.com/watch?v=hvFEffacY5g

正常性バイアス

英語ではNormalcy Bias。日本語では「正常化の偏見」とも訳されて、防災の分野ではよく知られた概念です。災害心理学者の広瀬弘忠氏の説明によると「ある範囲までの異常は、異常だと感じずに、正常の範囲内のものとして処理」しようとする「心のメカニズム」のこと(広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学』集英社新書0228E、p.12)。

今回の災害は地震・津波・原発事故という複合的なものです。海の近くにいて地震を感じたならば、たとえ揺れがさほど大きくなくとも津波を警戒しなければなりません。そしてできる限り高いところに、あるいは海から遠くまで避難することが必要なことは、三陸地方のように、これまで数多くの津波被害を経験しているところでは、常識と言えるでしょう。しかし、「前回の時(2010年のチリ沖地震津波?1960年のチリ沖地震津波?)には、ここまでは津波が来なかった」と逃げなかった人や、まだ大丈夫だろうと持ち物を探していた人などがおり、波にさらわれてしまった、とも聞きました。これも「正常性バイアス」と解釈することができます。

また、原発事故発生を受けて、安全な場所へといち早く行動を起こした人たちと、政府や東京電力さらには「専門家」という人たちの「ただちに健康に影響を与えるレベルではない」の言葉を信じて(あるいは信じようとして)、長年住み慣れた土地でできる限り生活を続けよとする人たちを観ながら、関東にいる年老いた両親を心配しながらも、心のどこかで「まあ大丈夫だろう」「まだ大丈夫だろう」と自分自身を納得させようとしていることにも、この「正常性バイアス」が働いているのだろうと思っています。でも、逃げるにしろ、留まるにしろ、情報の信頼性がどんどん薄れていってしまっていては、自分の行動を決定できません。

同時に、ほとんどTVなどでは見かけませんが、この原発事故の重大さ・深刻さを警告する見解をインターネットなどで見つけると、「安全・安心」とこれまでセットで使われてきた言葉が、むなしく分離し始め、霧消していく感覚に襲われます。

2011年3月25日金曜日

報道写真

行政や研究者、あるいは支援者による写真は、それぞれの目的のために撮影されたことは十分承知しています。しかし、プロの報道カメラマンたちによる写真は、地震や津波のもつ破壊力、それによって奪われる人間の命と生活、そうした中でも懸命に生き抜こうとする人びと、彼らを支えようとする人たちの姿をとらえ、その迫力には圧倒されます。破壊されたインフラや打ち上げられた船、瓦礫と化した住宅などは、確かに自然のものすごい力の痕跡です。でも、人間の生活に影響があって初めて災害になるのです。やもちろんカメラが向けられないところにも、さまざまな災害のありさまがあるはずです。
The New York Times

2011年3月22日火曜日

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